以前のブログで「絶対に観て!」と言いましたので、その考察をお届け。
【スーパーマン2025考察】(観ても影響しない程度の軽度のネタバレあり)
スーパーマンは、日本で言えばゴジラやウルトラマンと一緒で、アメリカの定番であり、永遠に語られる物語。
以前のそれは、潜在意識的には、「全男性の憧れの存在」でした。
空を飛んで、列車を止める力で世界を救う。でもハートはロイス・レインたった一人の女性を愛している。
ロイスも自立した女性でありながら、スーパーマンにだけは、可愛い自分であまえられる。
今回のスーパーマンは「移民として、どこに故郷を持っていいかわからない男が、故郷と生き方を明確にする」物語。
スーパーマンが、とにかく弱い。(敵が強い)スタートもそこから始まります。
でも、もがきながら苦しみながら、自分の血筋に直面しながら、ここ(地球人)で生きる!という誕生のストーリーでした。
新しいDCコミックのシリーズ・オープニングを飾る映画として、たくさんのキャラクターが出てくるのですが、
うるさすぎず、かといってキチンと個性があって、今後の展開に希望を持たせています。
古くからのスーパーマンと言えば、「これ!」がちゃんと盛り込まれていながら、今回は
「完全にカットされた」もの
もありましたので、その2つ。
1父親の存在:
スーパーマンはクリプトン星と地球に良心を持つわけですが、中でも父親は偉大に描かれていました。
古くはマーロン・ブランド、ザック・スナイダー版では、ラッセル・クロウと、ケビン・コスナーでした。
今回の地球の両親はフツーの人。本当にフツーの親。ここがまず違いました。
2
そして、「確かに良かったけど、何かスッキリしない感じがした」理由は2番目。
必ずあるはずの「あれ」がなかった。
それは、「ロイス・レイン絶体絶命の時に、どこからともなく現れて、サッとロイスを救う!」というシーン。
「愛する女性を助けたい」という男性のニーズは断ち切られましたので。笑
以前のマトリックス・レザレクションズも、1999年の延長だけで物語を捉えた人たちが「何でネオがこんなに弱いんだ!」という違和感を感じて評価はイマイチでした。
スーパーマンの「理想の男性」という過去のイメージにとらわれている人は、軽すぎる感じや、「?」がつく場面も多いかも。
しかし、「どんなに能力があろうと、悩み、苦しみながら、愛する人と幸せに生きるために、必死に頑張る」
人間臭いスーパーマンを、以前のように「憧れ」から見るのではなく、「共感」できる人には響く作品と言えるのでは?
従姉妹であるスーパーガールから預かっている犬・クリプトの描き方が、笑いを誘いながら、「犬好き、あるある」 を経験させてくれます。
「移民」「AI」「量子力学」「家族・絆」そして「愛」といった「現代」がバランスよく描かれた、テンポの速いヒーロードラマでした。
観終わった後は、以前なら、
「俺もヒーローになって世界を救う、カッコいい男になるぜ!」
という印象でしたが、今回は、
「いや〜、ヒーローも大変だなぁ。俺も頑張ろ!」
といった感じでしょうか。
等身大の人間臭いヒーローを一見あれ!